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                  同人誌 えん           藤田孝郎会員
ブラジル出会い旅1                                    ブラジル出会い旅2
 −8月17日−
 いよいよブラジルの土を踏む。ブラジルの入国審査は日本人として比較的簡単に手続きを済ませてくれ
た。友好的に見えた。トラブルもなく荷物も引き取り、出口に来る。歓迎××様という手製のポスター、出
迎えの旗が林立している。日系の人々であろう旗で分かる。
 八木さん。
「ようこそ、お疲れでしょう」
舌の滑らかすぎる日本語で出迎えてくれた。
 今回のツァーのブラジル側総まとめの人。年の頃
50歳少しすぎた日系二世。プロのガイド。苦しい移
民生活があったのだろうかと、我われは覗き見るよ
うに顔色をうかがったが既に時代は過ぎ去っていた
サンパウロで日本人相手の両替、旅行業を営んで
おられた。 安心した。
 彼は早速レンタカーで、日本人街の日系ホテルに
連れてってくれた。朝6時過ぎのこと。ホテルのチェックインは、普通は午後のはず。朝6時の客に空室な
どあろうはずがない。朝食の準備に忙しい地下食堂に案内され、機内食を食べたばかりなのに、もう一度
朝食をどうぞというはこびになった。わたしはノーサンキュー。S氏らは果物の盛りだくさんに感嘆し、機内
食とは別腹があるのだろう、さっそく美味しい美味しいとほおばっていた。
 いよいよ時差修正後のスケジュールが始まる。朝7時、テレビは夜7時のNHK衛星放送ニュースを写し
ていた。ここニッケイホテルは日系人向けに絞って営業をしているのだろうか。フロントもオール日本語O
K、木曜日の朝である。ビジネスマンの出張者がぞくぞく食事にやってくる。全部日本人の顔をしている。
味噌汁と海苔と目玉焼きと白いご飯の定食を食べている。こちらもホッとする。新聞が置いてあるが、細長
い紙で国際間のFAXのようだが、これも日本字がいっぱいで甲子園の優勝の記事がのっている。頭の中
で時差がまた戻っていくあやうさを感じた。(ブラジルなのに日本が朝からやってきた)
 しばらくして、八木さんが食堂に下りてきた。ホテルフロントと交渉して、チェックインのOKを取り付けて
くれた。サンパウロではすべてこのニッケイホテルを使うのだから便宜をはかるよう言ったのであろう。
急きょ準備をさせたのであろう、部屋ではどこもメイドがまだ帰らず、箒のようなものを持ってまだウロウロ
していた。  それでも助かった、今から10時まで4時間の仮眠
が取れた。次の旅程に入るまで休めることになった
風呂があるのが何より嬉しい。まるっと一日飛行機
内で手も足もちぢこんでいたのが、たっぷり湯舟で
時差の疲れをほぐすことができた。さすがに時計ば
かり見て眠りにはつけなかった。ベッドでゴロゴロし
て時間が過ぎてしまった。昼に再会したもう一人の
日系人山川氏はY氏の日本でのビジネスに深く係
わっていた長い間の友人で日系二世57歳東京生
まれであった。ご両親共々昭和30年ごろブラジル丸
(氷川丸)でブラジルにやってきて苦しい開墾の生活
をし、50年経って子どもであった山川氏は人材派遣業で再び日本との縁が生まれその仕事を生活の糧
として、二世の役割を果たしている。
 八木さんの方は二世として、出来上がった社会を歩かれ少しは楽な人生路であったろうが、山川さんは
故国から遠く離れたブラジルで、しかも中部の開墾地に入植されたよし入所事からして、語りつくせない苦
労の路であったろうが、今は逆に日系人を日本に移民させるのが仕事とは!どのように人生の整理をつ
けたものか、感傷的になるのはぬくぬくと母国で生半可に生活している我々日本人であって、彼らは感傷
など通り抜けてしまった逆境の後の強さを持つ。未知のブラジルに入植して以来の辛苦嘗め尽くし、出来
上がってしまった日系人としての生活を営んでいる彼らに、辛かっただろう、大変だったでしょうなどと浅薄
な同情を投げかけること自体、罪なことなのだと強く感じさせられたことであった。
 昼食に行こうと6人のメンバーで日本人街に出かけた。機内食はドイツかイタリア風の飯であったので、
日本食にしようと一致した。
 さすが日系人街カラオケ居酒屋『さちこ』とかいう暖簾までかかっている。『郷土食日本ふるさと』といった
店に入った。「寿司」の盛り合わせ、うどん、焼そば、いろいろとって皆で食べることにした。飲み物をS氏、
K氏はビール、ワインの注文。Y氏と私はコーラにした。コーラが一番安いのである。「いらっしゃい」と言っ
ても、水が”ただ”ででることは先ずない。 テーブル
いっぱいに並んだ料理、ボリュームがスゴイ!
 寿司も魚もブラジルでは以外に豊富らしく、特に鮭
が旨く油が乗っている。太平洋側チリー、大西洋側
もアフリカ沖で獲れるマグロは安く手に入り、味もよ
さそう。でもシャリの味付けが全く悪い。といっても、
ここ日系人には満足なのであろう。出された寿司は
具のみはずして、醤油をつけて食べることにした。
醤油も少し甘いが、日系人が工場を持っているらし
い。どこに行っても日本人は立派だなと感心した。
 うどんは肉入り15レアル、寿司は35レアル、焼きそば15レアル、日本円にすると752円〜1700円。
高くもなく安くもないと思う。だけど、ここブラジルの通貨評価は日本の7分の1ぐらい。給与が平均750〜
800レアル、高級サラリーマンで1300〜2000レアルといわれる。すなわち月額30000〜65000円
ぐらいで一応生活できるという。こんな中での1700円もの寿司は高嶺の花となってしまう。 つまり地元
日系人はこんな店を利用することは少ないと思う。
少しブラジルのことをまとめてみよう。
・国の大きさは日本の23倍。
 高台地、海抜約800〜1000m
・人口は1.5倍(日系人150万人1%弱)
・国民総生産 日本の10分の1
・独立1822年 移民1907年〜1962年
・移民100年再出稼ぎ者30万人
・日系成功者、コーヒー園、農園、政治家
 昼間歩くのは、一人歩きできない。やはりこわい。
ホテルから歩いて数分のところにスラムという地区
がある。昼食後すぐに宿に戻って寝ることにした。
眠れはしない。汚れた下着がたまってきた。風呂場で洗濯をする。ホテルの窓は10階とはいえ、鉄製の
ブラインドがついている。防犯と陽よけなのだろう。洗い物を乾かすのに窓をいっぱい開け、椅子やテー
ブルを窓際に集めてハンガー代わりにして、干し物をかけた。風がビュービュー入ってくる。
 夕刻6時パーテーの予定と言われた。山川氏が急遽段取りしたのだろう。サンパウロ州警のトップまで
昇りつめた出世頭マリオ・池田邸に行くことになった。彼は三世、日本語は通訳がいるが、顔は全くの日
本人と同じだ。    内扉は鉄格子、土塀で囲われていた。使用人だろうが、銃を腰に携帯している。
池田氏と並んでいる、銃の男は敬礼して出迎えてくれた。
 握手・握手・握手。
多くの歓迎者たちが、すでに部屋で待っていてくれた。日伯協会会長の越野さん(県人会連合会顧問)
カラオケ本部長島田氏(NHKのど自慢の公演企画者)他、池田氏ファミリー。
 びっくりしたのは、応接間に天皇陛下の訪伯から歴代日本首相の訪伯時の写真に必ずマリオ池田氏が
同席して写っている。どういう立場なのだろう。私は心のうちで思い巡らしていた。
 坂本冬美も北島三郎も訪伯しては、かならず池田邸に来てこの部屋で写真を撮っている。
 島田氏はカラオケ協会と言うから軽く考えてしまいそうだが、日本で言えば、ナベプロ、ホリプロ的大興
行主である。マリオは国家警察のNo.2のポストにあった折日本の要人の警護と側通訳をされたと聞い
た。先ほどの偉い人たちとの写真も頷ける。
 池田邸は小高い丘の上に建つ。窓からは朝方着いたばかりのサンパウロの街並みがネオンで輝いて
いる。東京を思わせるほどの明るさである。
 食事が始まった。テーブルには食前菜といわれるおじや風食物が並べられた。飛行食ばかりで疲れて
いるわたしの胃には大変嬉しく、お皿いっぱい入れてしまった。このときは主食と思ったし、テーブルの大
きさからしてこの程度で後々出てくるとは思ってもいなかったのが大変!あさましい間違いを犯してしまっ
た。テーブルのご馳走はほどほどに手をつけられると引き払ってしまい次々と料理が運ばれてきた。
大皿に盛りあわされた刺身、お寿司、盛り合わせ、焼きそば、鳥のから揚げ、果物の山盛り、バーボン、
ウィスキー、ブラジル焼酎、ビールなどなど。
 ともかく、スゴイボリューム。
「もうたくさん」とわたしは一人思っていた。
友人もそこそこは食べているものの、夜行軍の飛行
機で疲れており、そうそうは食べられない。
「もったいないなあ」と貧乏人の根性が出掛かってき
たが、言えない。大皿の残った食べ物は、裏方の人
が後で食するしきたりと聞いてホッとした。
 こんな光景はかつて訪れたコンゴのときも同じで、
裏方に多くの人が働いており、お皿の盛り上げ、取り
皿の工夫で残り食物を食べてもあさましくない生活習慣となっているのであった。
 残るほどあっても当たり前、食べる人も自分の分量だけ食べれば無理をしなくてもよいのである。
 この先々のブラジルの旅に大いに勉強になった、初日の失敗であった。

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