阿漕塚
孝子平治の伝説
津市の阿漕浦、ヨットハーバー南岸に、「孝子平治」の話が今も受け継がれている。その昔、このあたりは伊勢神宮の調進である御贄(みにえ)を獲る禁漁の海であった。平治は母の病気を治すため、矢幹魚(やがら)という魚が良いと夜な夜なこの海で網を打っていた。ある夜平治は浜に笠を忘れ、密漁が露見して捕らえられ、簀巻きにされて海に沈められたという。
平治なる者か否かは別として、西行の句に「通うことをあこぎが浦に引く網に度重ならば人も知るらん」とある。さらに中世の『御伽草子』23編中の『猿源氏草紙』にも「しほきとる阿漕が浦に引く網も度重なればあらわれぞとする」と歌われている。時代を遡ればのぼるほど、世に広く知られた伝説であることを知る。
津市内の柳山に、「阿漕塚」と呼ばれる碑がある。昔はこの当たりまで、海が入りこんでいたという。塚の横に芭蕉の「月の夜の何を阿古木に啼く千鳥」の句碑があり、市内の代表的観光スポットである。
津南ロータリークラブのバナーは、この孝子平治の忘れた笠をモチーフにして作られている。