津というところ

津市というところ

 県都津市の「津」は、港(湊)を意味している。その昔は、「安濃津」と呼ばれ、中世の明応7年(1498)東海沖で起きたマグニチュード8.4と推定される大地震による大津波で姿を消すまで、湊街として栄えていた。この安濃津の湊は、中国明代末に発刊された候継高編『武備志』や芽元儀の『日本風土記』に、鹿児島県の坊津や福岡市の博多の津と共に記され、二つと比べれば規模は比較にならないほど小さいが、明国から見れば日本攻略上の重要な三津の一つであった。
 近世になって、藤堂高虎が22万石の藩主として当地に入り、沼や潟を埋め立てて城下町を形成し、今日の原型が出来上がった。藤堂家は、商人の保護政策をとり伊勢商人を育て、彼らは江戸に進出した。しかし商品である木綿の江戸への搬出は紀州領の白子の湊を使ったため、安濃津の湊は復興することはなかった。平成に入り、中部国際空港直結のルート開設により、新たな輝きをみることとなった。
 現在は平成の市町村大合併で10の市町村が新津市となった。南朝方で知られる国司北畠氏の本拠地美杉、真宗高田派総本山専修寺、旧海軍飛行予科練のあった香良洲は、歴史の香りが残る地である。一方、伊勢本街道にある隠れ里と桜で知られる三多気、清少納言の枕草子に記される名泉榊原温泉、阿漕・御殿場の海岸などは、自然の豊かさを感じさせる名所となっている。